ティータイムのすすめ|その2
ティータイムのすすめ②
前回に引き続きインタビュー形式で、オンライン勉強会『スタパ』の発起人ひろせんせーに、スタパのもとになったティータイムについてお聞きします。
一緒に頑張るということ
せんせーの考える、ティータイムの良さは何ですか?
もっとも大きいのは、皆で取り組むという点です。私は常々、教育というのは共同プロジェクトだと感じています。子、それに親、そして教師、学校、さらに地域が連結して行う教育が、私の考える理想です。
確かに、子供に学習を促す目的でも、よく親が言う「勉強しなさい」とは全く違った印象を受けます。
声掛けは教育において最重要かつ最難関事項ですが、ティータイムでは「しなさい」ではなく、自然と「しよう」と言えるベース、流れがつくられています。
「しなさい」ではなく「しよう」は声掛けの基本ですね。
はい。ですが「しよう」も、中身が伴わないと空虚で意味がありません。言葉尻を変えるだけでは、子供は誤魔化せません。ティータイムの最大の意味は、自然とその姿勢を傍らで子供に示すことができるところです。
「勉強しなさい」は放り投げられている印象、でも「勉強しよう」も嘘っぽい、そんなとき「ティータイムしよう」は新しいですね。
子供とは不思議なものです。子供は親の鏡であり、例えば親の精神状態を細かに反映します。そして親が頑張れば子供も頑張り、親が怠ければ子も怠け、親が楽をしようとすれば子も楽をしようとします。
教育とは、親や上司が自分自身を鍛えることでもありますね。
最近では、よくカフェで子供が勉強していて、隣で親が待っている姿を目にしますが、そこで親が雑誌やスマホをみているのと、一緒に仕事や作業をしているのとでは、子供の学習効果は大きく違うでしょう。
それだけ親は子に影響力があるということですか。
例えば子供が勉強しているときに、親がテレビを観るのは良くありません。同じ部屋は言語道断、違う部屋でも子には伝わります。この子が我慢して頑張っているなら、私も頑張る。その気持ちや姿勢が子に伝わり、本当に背中を押します。
そんなことをされたら本当に嬉しく、力強いですね。逆に責任を感じたり、気を遣ったりしてしまう子がいそうですが、ティータイムなら自然にそれができる点も良いですね。
親がすることを子は真似します。親が向き合うものに子は向き合い、親が投げるものを子は投げます。親が学業を子や学校に丸投げすれば、子もまた学業を放り投げるでしょう。子育てや教育は自分と向き合う機会でもあります。
ティータイムは親にとっても挑戦ですね。
たとえティータイムでなくとも、子供が学習している時に、テレビを消すことはできます。大人は日中の仕事が忙しく帰宅後くらいはリラックスと思うかもしれませんが、子供も日中は学校という努めを頑張っているのです。
子供にとって勉強は仕事。とすると家庭学習はもはや残業のようなものなのでしょうか。
嬉々として勉強する子は少ないでしょう。子供が重い腰を上げ家でも頑張るなら、自分も同じ時を同じく頑張る。少しでも一緒に戦うという気持ちが子供には一挙手一投足から伝わります。それが、本当に応援するということなのだと思います。
強制するのではなく環境を用意する
せんせーは、ティータイムの必要性をどのように考えていますか?
皆で取り組む環境、きっかけを与えてくれるものであれば、ティータイムに限らず何でも良いんです。ただこの、環境を用意するというのが、教育の大きなテーマであり難題でもあります。
どういうことですか?
これも私の持論ですが、子供が主体性を持ち能動的に取り組み、自ら育っていくのが理想だと思っています。そこで大人のすべきことは唯一、最善の環境を用意してあげることだけです。
主体性ある能動的学習は、昨今の自律学習やアクティブラーニングに通じますね。
はい。そしてこの成長を促す、理想の教育環境こそ、我々が正解を追求してやまないものです。そのひとつの模範解が、ティータイムだと思っています。
ティータイムによって生まれた教育環境を、生徒目線で体験してきたからこそ言えることですね。
ティータイムには強制がないんです。子供、特に思春期以降の子は自立心の強まりから、命令されることを極端に嫌います。
言われてみれば「勉強しなさい」は、丸投げであり強制でもあるわけですね。
もし勉強しようとしている子に「勉強しなさい」と言った場合、反発して止めてしまうかもしれません。仮に強制されてはじめた子がいたとしても、士気が上がらず学習効果は低いでしょう。
やらされ仕事ならぬ、やらされ勉強ということですね。
ただ勉強させることではなく、成長させることが目的ならば、これは由々しき問題です。我々はこの問題に、例えばナッジ教育というアプローチを考えています。
ナッジとは何ですか?
nudgeとは「肘で小突く」という意味から派生した、自発的な行動を促す行動科学の言葉です。本来、教えによって行動を求める教育とは対照的な言葉でしたが、我々はこの理論と教育の融合を考えています。
そのナッジ教育のひとつの実践例、先鋒隊が、今回のティータイムというわけですね。
家庭で今日からでもはじめられるティータイムというシンプルな企画に、我々がこれから推し進めていきたいこと、大切にしていきたいことが詰まっていると感じます。
ティータイムと子供たちの心理
そういえば、ティータイムは家庭内企画ということで、家庭内ルールではありませんね。
何時から何時まで勉強という、生徒にとってネガティブなルールで強いてしまうと、マイナス発進の感情は理不尽さに苛立つばかりで、強制され縛られた時間を潰そうとします。
学習する時間ではなく、ただ過ぎるのを待つ時間ということですか。決して時間を延長して頑張ろうとはならなそうですね。
しかしティータイムはスタートラインがポジティブなので、そのままさらにどうやってこの時間を生かそうかということに感情が向かいます。
勉強を強制されているわけでもないので、すっきりと気持ちよく学習できますね。最高の学習環境かも。
ルールで強制していては、それは義務なので、勉強して当たり前で、勉強しても褒められません。しかし、ティータイムで勉強するのは自発的な行動なので、褒められます。それがまたいいんです。
子供の自立心を損なうことなく、むしろ認め、評価しているようですね。
子供にとって褒められることは最上のエネルギー源です。もしティータイムで子供が勉強していたら、ここぞとばかりに張ち切れんばかりに褒め称えてあげてください。
褒めることは大事なのですね。
褒めることは子供に対して「その努力の方向性で間違ってないよ」というメッセージであり、それにより子供は安心して邁進できます。特に親の賛辞は、どんな有能な教師も代われない最大の教育です。
ティータイムからスタパへ
ありがとうございます。最後に、ティータイムからスタパをつくるに至った経緯を教えてください。
今回のような話を、教育の場で教師仲間にすることが度々ありました。皆こちらが驚くほど感銘を受けてくれ、その時にはじめてこのティータイムという時間の価値と貴重さを思い知りました。
灯台下暗しということなのですかね。
そういえば中学生の頃、学校のテスト前に週間スケジュール表を書いて提出する課題で、ティータイムと書いたら友達に笑われた覚えがありますね。
自分で各曜日の予定を書き込む時間割のようなものですね。懐かしい。
面白いのが、あの時なぜ友達が笑っているのか理解できなかったことですね。当時は、ティータイムは半分公共の制度か何かで、比較的メジャーなものと思っていたので。
ある種のカルチャーショックですか。同じインパクトが、教師仲間の方々にもあったのかもしれませんね。
なかには帰ってご自宅で実践してくれる方もいたのですが、なかなか続かないようでした。
継続させるのは、何事も簡単ではないということですね。
そこで、ならばいっそ皆で集まり、皆で取り組むプロジェクトにしてしまえばいいと思ったのが、きっかけです。
それがスタパですか。するとスタパは、せんせーの様々な実体験がもとになりできたプロジェクトということですね。
そうですね。冒頭で触れたパーティーの部分、皆で取り組む大切さや心強さは表現したいと思ったところです。厳密には、親の代わりやお茶やお菓子の用意ができるわけではないので、まったく同じとはいえませんが。
オンライン型ティータイムとは違うということですね。
スタパとティータイムは別物です。だからこそ、スタパにはご家庭の協力でもっともっと最高の学習環境に近付ける余地があると思っています。
身近な人間の代わりはいない。身近な人間ができることは必ずあるということですか。
その通りです。例えば、スタパをする子の背中を、ティータイムで押してあげてもらえたら最高ですね。
逆にティータイムにはなかったけれど、スタパにはあるというものはありますか?
もともと考えていた、すべての子供たちに学習コーチングとメンタリングを提供するという計画を組み込んでいて、スタッフ、メンター、学習コーチ、学習トレーナーの結束で生徒をトータルサポートするシステムになっています。
集まる皆というのは、子供だけでなく、大人もだったのですね。
子供の教育には地域やコミュニティの支援が必須だと思っていて、これは現代の核家族化社会の課題であり、着手していきたいと考えていました。
時代により教育の課題も変わりますね。
今の子供はとにかく孤立していて、孤軍奮闘しています。隣に立ち、周りを囲み、共に戦い、共に悩み、一緒に前に進む仲間たち。まさにパーティーですね。それをスタパには込めました。
終わりに
ティータイムともまたひと味違ったスタパでしたが、この世の中でスタパだからこそできること、応えられることはあるでしょうか?
そうですね。このあたりの構想がまとまってきた頃、ちょうど自律学習という言葉を目にするようになってきました。時代、というのがあるのだな、と思いました。
確かに街に並ぶ看板も、昔とは大きく違います。今は本当に多種多様ですね。
それは、国際化社会で子供たちの多様化に伴い、親や子供のニーズ、SOSも多様化してきているということだと思うんです。だからこそ昔のような画一的な教育ではなく、教育自体も多様化していかなければならないと考えています。
多様な教育が求められる時代に、多様な教育サービスで応えるということでしょうか。
それをひとつの柱とはしています。
その一員として、スタパならではの良さや、スタパならではの時代のニーズへの応え方を考えるとき、どのような点があるでしょうか?
そうですね。まずは無料ということでしょうか。
そうですよね。それは大きいと思うのですが、運転資金面などは、大丈夫なのでしょうか。
わかりません。まぁ今は有志に頼っていますが、急いで大きくする必要もないですし、できる人たちができる範囲で、まずは手の届く範囲の子たちに対してひとりひとり真剣に、ぼちぼちやっていければいいと思っています。オンラインだからこそ可能だと思いますし、多少の費用は自腹で踏ん張ります。笑
ちなみに、なぜ無料なのでしょうか?
お金の事情などで、受ける権利を持てない子を生み出したくなかったからです。それだけファンダメンタルな教育インフラだと感じているので。
いきなりの横文字にびっくりしましたが、確かに無料の自律学習塾はないでしょうから、これはスタパならではの特徴と言えそうです。
それと、個人的にはずっと考えていた家庭学習に着手するという念願が叶ったのは、スタパだからこそだと思っています。
家庭学習に何か因縁が?
昔、震災直後に家庭教師として被災地のお宅を回っていた頃「いつもはまったく勉強しないけど先生が来た時だけは勉強して助かる」と言われたんです。確かに授業は隣で生徒が宿題やワークをするのを眺めているだけ。楽ではありますが、違和感がありました。
家庭学習時間をつくるために家庭教師を利用しているという話はよく聞きますね。
当時は震災復興で授業料が免除でしたが、これが通常の家庭教師でも行われているとしたら、あまりにもったいないと感じました。確かに通いだと自分は週1回しか来れないけれど、こうしたニーズにもっと効率的に応えるサポートは、今の時代ならもっと他にやりようがあるはずだと。
それがスタパだったわけですね。
まだわかりませんが、ひとつの挑戦だと思っています。またもしこれが時代の出した答えなのだとしたら、それを解くことに意義や使命感を感じています。
時代の出した答えですか。
スタパはオンラインを活用することにより、はじめて自宅での家庭学習をサポートできるようになりました。これにはコロナによるオンラインの浸透が大きく影響しています。
そう考えると時代に意思があるようですね。
いつでもどこでも、自宅の部屋でもカフェでも、無料だからこそ気軽に無制限に、朝の寝起きから夜寝る直前まで、仲間と一緒に頑張れる空間。それがスタパの良さですが、そんな空間はオンラインだからこそ成立します。
オンライン環境が必要とされる時代に、それを加速させるようなことが起こった。
時代は私たちに新しい景色や経験だけでなく、課題や試練も与えます。それを避けるでも抗うでもなく、その時代を一生懸命に生き、時代を生かし、ひとつひとつ乗り越えていきたい。そう考えています。
ティータイムもスタパも、その根底にあるのはある意味非常に個人的な想いでありストーリーでした。それを当人の口から聞けた機会に感謝します。せんせー、ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。

