ティータイムのすすめ①

今回はオンライン勉強会『スタパ』の発起人であるひろせんせーに、スタパのもとになったと言われる謎のティータイムについてお聞きします。

せんせーこんにちは。いきなりですが、ティータイムとは何ですか?

こんにちは。そうですね。世の中には色んなティータイムがあると思いますが、ここでのティータイムは私が子供の頃に行われていた家庭内企画です。

家庭内企画がティータイムだなんて、なんだか洒落てますね。具体的にはどのような内容だったのですか?

内容は至って単純で、毎日決まった時間に、ティータイムを開催しようというものでした。時間になると家族でひとつの部屋に集まり、お紅茶をいれて、お菓子をつまみ、クラシック音楽のもとで、各々好きな作業をする。それだけです。

同じ部屋に集まるけど、お喋りをするわけではないんですね。

そうですね。だからティーパーティーではなく、ティータイムだったのかもしれません。英単語のpartyには「会」や「目的を共にして集まった仲間」という意味がありますが、ティーパーティーとなると、どうしてもお喋りを連想してしまいますから。

ティーパーティーでもティーセレモニーでもなく、ティータイムが絶妙だったんですね。

ちなみに今触れたのpartyの意味・精神は、スタパのパのあたりに引き継がれています。

ティータイムのはじまり

いきなりそんな洒落た会を毎日開催されると言われて、驚きませんでしたか?

頭の中は「?」でしたね。目的はよくわからないが、そういうことをしたいんだな、付き合ってやろう、という感じです。

なんだか立場が逆ですね。笑

当初は親のワガママに付き合っている気持ちでしたが、お茶とお菓子もあるので悪い気はしませんでしたね。なんだかイイ感じで作業がしたいらしい親の、おこぼれにありついている状況です。

こちらにもメリットがあったんですね。

お紅茶とお菓子とお洒落空間なんて、子供からしたら憧れですよね。あくまでそれに誘われたというかたちで、なにを強制されることもなく、当時はむしろ文字通りオイシイと感じていました。

ティータイムの副産物

ティータイムに、ルールはなにもなかったのですか?

決まっているのは、集まるということ、そしてざっくりとした時間くらい。当時は午後9時から1時間くらいでした。あとはなにをするも自由でしたね。ただしテレビやゲームは禁止。非日常のお洒落空間なので。親は本を読んだり、編み物したり、仕事の残りを片付けたり、有効活用していたと思います。

せんせーはなにをしていたんですか?

子供からしたら、お茶とお菓子とお洒落空間に誘われて来たものの、テレビとゲームを封じられてしまっては、なにもやることがないわけです。だから宿題をしましたね。学校は次の日もあり、どうせやらなければならないので。

宿題をする時間が毎日固定されるのは良さそうですね。

そうですね。それだけでも十分有難かったと思います。

他にもなにかあったんですか?

宿題なんて、はじめると30分くらいで終わってしまうんですよね。だけどまだティータイムは続いてる。だから次は、明日授業でやりそうなことを予習するようにしました。

それは凄いですね。宿題をすることは普通だったかもしれませんが、毎回予習する生徒はなかなかいません。普通を超えた世界ですね。

そうですね。そしてそれが、なんというかクセになったんですね。味がクセになるほうの「クセになる」で、予習をせずには学校に行けなくなるほどでした。

なにが起きたんですか?

まずは授業で余裕が生まれます。ノートに追われず、周りを見渡し、困っている友達に教えてあげられるほどに。まるで一度クリアしたゲームを初見の友達とプレイして、キャリーする余裕がある時のように。それがなんとも心地良く、もはや楽しくなります。

まさかそのトリックが、ティータイムだけとは、誰も想像しませんね。

学校の授業が復習にあたるので、帰ってから復習する必要がなく、次のティータイムを次の授業の予習にまわせるという先手先手の好循環も良かったです。学校の授業は予習の確認作業なので、授業直後にはもうすべて掌握済で積み残しがない状態にしておけます。

復習は大事と言われますが、帰ってから実際にしているかと聞かれると、宿題や習い事で忙しくで結局やらずじまいという人が多いです。そんな後手後手の悪循環には、初手の予習が特効薬だったんですね。

気付いたら、クセになった予習が習慣化して「癖になって」いました。

自分自身のプロジェクトへ

しかし、ずっとティータイムを続けるのは大変ではなかったですか?

自分は主に中学生の頃に実施していたのですが、特に辛くはなかったですね。しかし親は大変そうでした。

確かに大人にとっては、毎晩同じ時間に1時間コンスタントに確保するのは厳しいですね。

なので最終的には、自分のソロプロジェクトみたいになってましたね。

でも続けられたのは凄いですね。

面白いもので、子供というのは最初はこちらが手助けして回してあげても、勢いが乗ってくると自転するようになるんですよね。車を動かすローギアは重いですが、スピードに乗ると軽いギアでどんどん進めるように。

親がいなくても自転できていたということですか?

例えば、ティータイムも定時で終わると親は寝支度を調えはじめますが、自分はキリがいいところまでとそのまま勢いに任せ、深夜を回ってしまうことも度々ありました。

9時からだと3時間以上ということになりますね。

睡眠時間の面では問題があったかもしれませんが、毎日3時間の学習効果は絶大で、止まらなかったですね。その分、テスト前も特にテスト勉強をする必要はなく、通常運転で安定はしていました。

子供が自転に入ってくれると、親としては楽ですし、なにより安心ですね。

同様に、親がティータイムに来れないときも、勝手に定時にはじめていましたね。自分が、というより、身体が勝手に、という感じです。まるで慣性や惰性ですね。

ティータイムは、きっかけを与えてくれたんですね。

そうですね。自分が自転車に乗り走って行けるように、補助輪の役割をしてくれたのだと思います。

真の目的とメリット

ティータイムを通して、自律学習に到達したと言えるでしょうか?

当時は自律学習という言葉は聞かない時代でしたが、少なくとも最後は能動的に取り組めており、そのときの動機はお茶でもお菓子でもなく、それでいてしっかりとした目的意識はあったように思えます。

その状態を、今では本当の自律学習と呼ぶのでしょう。ティータイムの副産物は大きかったということですね。

そうですね。自分からすると、本当にその通りです。親からすれば、もともとこれを産み出す狙いだったのでしょうが。当初親の目的がよくわからないと思っていた企画の裏に、これだけの目的があったとしたら、大成功ですね。

メリットも、お紅茶とお菓子とお洒落空間だけではありませんでしたね。

本当に。あの時食べたお菓子の価値に負けない、プライスレスなメリットが眠っていました。

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